生きる意味って考えたことありますか?

働く大人への違和感

現在、大学3年生である私は、ベンチャー企業の長期インターンシップをしたり、早期内定を獲得するためにサマーインターンシップの選考に参加したりと、いわゆる「就職活動」をするようになった。その過程で私は説明会や面接で自社の仕事を誇らしげに語る大人に対して何か違和感を感じていた。(その違和感こそが、私がブログを開設するに至った理由でもある。)そんな私の感じた違和感について綴ろうと思う。

大学生の私が就活のなかで感じた違和感

私の違和感は、「株式会社〇〇の△△です。」「〇〇大学の△△です。」このような「〇〇の」という組織ありきの自己紹介から生じていた。考えてみれば、自己紹介に組織はつきものである。「お隣に住む△△です。」という自己紹介でさえある特定の地域(範囲)に所属するということを示している。このような自己紹介から伝わることは「この人は〇〇という組織(範囲)の中で行動している」ということである。そして私は、この「自己紹介」をきっかけに、ふと、「人間は所属する組織によって行動の範囲が決められる」という(あたりまえの)結論に至った。

 組織の意味

<組織>ある目的を目指し、幾つかの物とか何人かの人とかで形作られる、秩序のある全体。(goo国語辞書)

すべての人間は組織に所属しているといえる。部活、学校、会社、国家と上げればキリがない。単位の大きさがそれぞれだが、所属する組織の目的こそが自分の生きる意味の一つになり得ると私は思う。組織は目的達成のための手段であり、目的そのものでは無いという主張もあるだろうしそれはそれで否定しない。(自分の利益のためだけに行動し、自分の事しか考えられないという人を除けば、その"目的"は、別組織もしくは別レイヤーにある組織の目的になるはずである。)

組織への所属というのは個人の意識によって明確になる。例えば、高校での幽霊部員という存在は、部活動という組織に形上所属してはいるけれど、組織の目的のために行動してはいない。言い換えれば、「どの組織に所属しているという意識を持つか」ということが自分の生きる意味を考える上で重要な問題となると思う。会社に所属していると意識する個人は、その会社にとってまたその会社が関与する経済に対して意味ある存在である。働きはするが、会社の利益などどうでもよく、家族という組織が幸せであれば良いと考える人もいるだろう。(そのような人は会社という組織においては、所属しているが貢献意欲が低いという意味で幽霊部員と大きな違いはない。)

 人は必ず死ぬという大前提

人は必ず死ぬ。私は、「限りある一生の中で何を目的に生きるのか」ということを常々考えている。例えば、朝起きて妻の作った美味しい朝ごはんを家族で食べながらランドセルを背負った子供を学校へ送りながら出勤し、定時になったら帰宅してまた妻の作った夜ご飯を家族で食べる。休日には動物園に行ったりピクニックに行く。そんな"幸せなそうな"日常を過ごしたいと思う人はたくさんいるだろう。子孫を残し、社会の一部として経済を回し、自分は幸せだと思いながら、死ぬ。「人間」としての使命を十分に全うしたといえるかもしれない。しかし私はそのような人を、社会を回すためのほんの小さな歯車の一部として生まれいずれ取り替えられてしまう"消耗品”と思ってしまう。ある意味で動物らしい本能ではあるが、せっかくなら、取替不可能な「個人」でありたい。

なんのために生きるのか

自分自身の幸せのために。身近な人の幸せのために。会社のために。いろんな答えがあると思う。これまでに述べてきたことを総括しながらいえば、人間は何かのために生きたいと思い、そのために何らかの組織への所属意識を持つ。それが、何かを守りながら繁栄することをInputされた動物としての使命だからだ。私が就活の中で感じた違和感は、出会った人々が持つ組織の「範囲の大きさに対する意識」である。自分の仕事や会社の社会的意義を熱心に語る社員やその話に感動する同期に、私は確かにすごいと思いながらも心のどこかで共感できずにいた。それは、その組織が与える影響の限界が見えてしまったからだ。どの組織にも影響を与えきれない範囲が必ず存在する。むしろ影響の与えきれない範囲の方のが影響を与えることのできる範囲より大きかったりする。組織に所属する人は、自分の所属する組織の影響の大きさを語りはすれども、影響の与えられない範囲に目を向けることはしない。そもそも「ターゲット設定」の中で事業を起こすからだ。

組織の中で複数の事業を立ち上げ、それぞれが異なるターゲット設定をすることで影響の範囲は大きくなると考えられるだろう。また、異なる組織がそれぞれ与える影響を考えれば、それらは互いに補完仕合い、"組織の集合"が社会全体与える影響は非常に大きなものになるだろう。しかしながら、このような他の組織ありきの考え方では、必ず光の届かない範囲が出てくるのである。(そもそも他の組織ありきという以前に自分の所属すると意識する組織のことしか考えれていないのであるが。)日本の政治家は自国の利益を考える。各国首脳は自国の利益を考える。国連国連加盟国の利益を考える。どれほど大きな組織であろうと、必ず光のあたらない(あてない)範囲は存在する。それは、人々・組織にとって「地球人」という組織意識が欠如しているからである。

地球に所属するということ

私は地球人としての意識欠如を批判しているわけではない。人がなんのために生きようがその人の自由だからだ。これは単なる私の意識表明である。私は「地球人として」この限りある一生を捧げたいと思う。もし宇宙の秘密がより明らかになった時代であったならば、私は「宇宙人として」生きよう。どうせ死ぬなら、自分に存在価値があったと思いながら死にたい。自分には大きな使命があってそれを果たすことができたと思いながら死にたい。代々受け継がれたことを引き継ぎ引き継ぐような一生ではなく、誰も目を向けることのない何かに目を向けたい。各組織の目的範囲に当たらない何かを見つけられるのは、地球人としての意識を持った者の使命であるからだ。